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天仙寺は曹洞宗の寺院です。

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   和尚さんのエッセイ集

 目 次

 平成二十四年三月、三十六年間の県立高校教員を定年退職し、四月一日から「住職」専任となった。その年の十月には「晋山結制」を修行し、緋色の衣も着れらるようにはなった。しかし、半僧半俗の習性はなかなか変えられるものでもなく、どこかに何かを忘れてきてしまったような、空虚なものを引きずっている。心配な生徒も同僚も学校もない生活はなぜか張り合いがないのである。
 実は、自房を離れて教員をしたのは、若い頃の四年間のみで、幸いにも、後はずっと住職を補佐しながらの教員生活であった。つまり、「和尚」であるという自覚を持ちつつ、「教育公務員」としての立場で教壇に立ってきたことになる。例えば、道元禅師のお話にしても、「曹洞宗僧侶」としての発言にならないように気を遣って話をするというように。今は全くそんな心配の無い立場になったのだが、それはそれで、また難しいということが分かってきた。「和尚の顔」をして「和尚らしい話」をする修行を積んでこなかったからだ。
 従って、「和尚さんのエッセイ集」という題は的外れかもしれないが、「いつかは」という願望をこめさせて戴いた。当面は「半僧半俗の顔」をして、これまで学校の折々に書いてきたものを選別し、若干の訂正をしながら掲載したいと思います。

 半僧半俗三十六年  教員退職の所感

 平成高校のホールからは、秀麗無比なる鳥海山が見える。今日も夕映えの雪原に鳥海山の影が浮かんでいる。今、向こう側で鳥海山を眺める多くの方々に感謝するとともに、これまで私を支えてくださった、多くの方々の面影を懐かしく思い出しながら、もう少しこのままでいたいなと、感傷的になっている自分がいるのに気がついた。
 山と川のある町横手で生まれ育ったが、私にとって山とは青い山脈ではなく、城山や裏の川の土手から望む鳥海山であった。父に手を引かれながら見た幼児の体験や、祓川あたりで野営、翌朝早く頂上を目指し、御浜、鉾立、象潟、そして海、5年生の夏の言いようもない興奮を想い出しながら、夕日に染まる鳥海山を眺めるのが、もっとも心和むひとときであった。
 昭和五十三年四月、その山の向こう、創立二年目の仁賀保高校に赴任した。真新しい教室の窓からは、工事中のグラウンド、その向こうに広がる九十九島、そしてそこからそのまま裾野となり、中腹から奈曽渓谷が刻んだ深い襞を通って一気に山頂に至り、稜線がなだらかに、嫋やかに、南の海まで続く、勇壮な鳥海の全山を見渡すことができた。その光景は、日頃慣れ親しんだ鳥海とは全くの別物で、圧倒的な力で迫ってくるものがあった。
 新二年生のみの新任式で、「小さい頃から、鳥海山を眺め、夕日の沈むその向こうの世界を夢の世界のように思ってきた。その夢の地で皆さんとともに新しい学校づくりに情熱を傾けることができるのはうれしい。」と始めたが、そこで終わればいいのに、高揚感のために、前日、南外分校の離任式で、黒板を背に全校生徒二十数名を前にして、「南外から見る鳥海山はこう、横手から見る鳥海山はこう、だけど、向こう側の象潟から見る鳥海山はこうなんだ。」と絵を描きながら話したことに繋がってしまったのであった。「実は、横手から見る鳥海山は・・・。」「同じ山でも見る方向によって違った形に見える。でも、どれも同じ山の一面だ。物事も人も同じ。一面だけを見ていたのでは分からない。全体を見渡すことが必要だ。」「自分を見るとき、どうしても欠点に目がいってしまうが、自分では気がつかないいいところもたくさんある。」「自分では分からないなら、人に聞けばいい。」「本荘の人、矢島の人、西目の人、仁賀保の人、象潟の人、横手の人がそれぞれの鳥海山の自慢をするように、自分のいろんな面を指摘してもらえばいい。」「そのために、まずは、君のそういうところいいね、と言える人になりたい。」「そんな仲間づくりがしたい。」他の先生方の何倍もの長広舌をした、変わり者の新米教師になってしまったのだった。
 が、言ってしまったことは、取り返しが付かないし、言ってしまったことはやらざるを得ないのであった。今、仁賀保、平鹿、城南、横手工業、清陵、増田、湯沢商工、その後の自分を振り返って、「生徒の自己肯定感を育むために」というスタンスはこの時に決まり、以来、三十数年経っても変わっていないなと思う。
 四月からは新たな立場で「住職」を勤めて行かなければならない「半僧半俗」三十六年の自分。夕闇とともに半身不随に陥るような不安が押し寄せてくる。
 「まあ、春を待つしかあるまい。」と、気を取り直し、無人の校内を巡回した。最後の赴任校の二年間を振り返りながら、「残されたわずかの時間は、半俗に徹し全うしよう。」と意を決し、家路に就いた。



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 人間性が豊かであるということ

 今年度の生徒会活動を振り返って強く感じることは、暖かく豊かで力強い人間性である。心のこもった新入生歓迎会、「感謝の気持ちを伝えよう」をコンセプトに企画された平成祭、仲間のために全力を出し切る体育祭、地域の期待に応えるボランティア活動、責任ある市民を表明する挨拶運動。こうした活動の根底にある「人間性」こそが、これからの平成高校を支えていく「精神」であると、大いに期待している。
 人間性とは動物性と対比される言葉である(勿論、人間にも動物的な部分はある。話題の肉食系・草食系とは関係ない。)から、動物にはない「人間らしさ」と言い換えてもいいし、「人でなし」という言葉から連想すれば、これがあるから人間だといえる「もの」と言っていいだろう。
 では、その「もの」とは、具体的には何だろうか。思いつくままに並べてもいいが、 本稿では「ことば」を例として述べようと思う。
 動物にも言葉があることはよく知られたことである。イルカは合図を出し合って協同して狩りをする。ニホンザルの群れはえさ場に向かうときに、若いグループと子持ちの母ザルや老いザルとは別ルートをとるが、同じ頃合いには同じえさ場に集合するという。意志を通じ合わせる何かしらの言葉が存在することは明らかである。
 では、人間の言葉とはどう違うのだろうか。ニホンザルの群れを想像してみよう。その縄張りに熊が近づいてきた。第一発見者は「熊だ!(実際には危険を知らせる叫声)」、それを伝え聞いたサルたちはどうするだろう。人間の場合であれば、伝え聞いた人は、見てもいないのに「熊だ!」と言うのにはちょっと躊躇する。「向こうで『熊だ!』って言ってる!」、秋田人であれば「『熊だ』ど!」。ニホンザルは危険を知らせる叫声を次々と伝達する、つまり、警報を鳴らすのと同じである。ここに動物の言葉と人間の言葉の大きな違いがある。
 人間の言葉は「言葉そのものを対象化する」ことができる。本を読み、ドラマを観、歌を歌う。遙か彼方の世界を想像し、そこに暮らす人々に思いを致す。自分や他者を対象化し、他者の気持ちを思いやり、その気持ちや行動に対するリアクションをする。自分はどこから来て、どこに行くのか。自分は何のために今ここにいるのか。こうした精神活動は、言葉の発達とともに発達してきたものである。
 それらの発達は一人の人間の発達でもある。自他の関係がまだ未分化な、いわば、天動説のように自分中心の頃から、自他の関係をきちんと捉え、互いの関係性の中で判断できる、いわば、コペルニクス的転回を遂げる時へ。
 生徒会活動の中には、思いやりに溢れた場面がたくさんあり、みんなのために状況を変えていくパワーもあった。この行動力を伴った豊かな精神活動が「人間らしさ」だといえるのではないか。


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 「何のために・・・・」と問うこと

 4月以来4ヶ月、新入生も、クラス、部活動、委員会活動等々、様々な活動の場でしっかりと力をつけ、もう立派な高校1年生です。県南総体、全県総体、甲子園予選、コンクール、競技会での各部の活躍の陰には、1年生の力がはっきりと感じられました。
 「和 Link」をテーマに思いを形にしようと取り組んだ平成祭では、生徒会のみんなが「復興支援シール」を作成し、被災地に思いをつなぐ活動をしてくれました。このシールは、今年に限らず、復興支援が続く限り、本校のシンボルとなるでしょう。また、地域と繋がるツールにもなるでしょうから、生徒たちの今後の活躍を期待してください。
 さて、「何のために・・・」とは、「何のためにこんなことをしなければいけないの?」という愚痴にもなる言葉です。が、自発的に「自分は何のために・・・」と問えば、人生を方向付ける大きな問いにもなる言葉です。やらされていると感じるのか、自らの意志で選択しようとするのか、その差はとてつもなく大きいのです。3年生は今、昨年より少ない求人の中から、就職先を決めようとしています。この選択が、「他にないからしょうがない」選択か、それとも「当初思っていた仕事ではないが、自分はこの仕事を通じて○○のために働くことにする」という選択か、今が正念場なのです。
 なでしこジャパンがワールドカップで見事な勝利を収め、世界中を感嘆させました。報道によれば、「何のためにサッカーをするのか」という問いがキーワードになっているようです。その答えの一つは、日本女子サッカーの興隆のため。初代表結成以来30年、今なお選手の競技環境は劣悪である。それでもサッカーを続けるのは、先輩が築き上げたものへの感謝とこれからの後輩のためです。二つ目は、澤選手の次の言葉にはっきりと表れています。「私達がここでしているのは、サッカーだけではないことを知っていました。我々が勝つことにより、何かを、誰かを失った人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は特別な事を成し遂げた事になります。こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それが私達の成功となるのです。日本は傷つき、多くの命を失いました。私達には、それ自体を変えることは出来ないものの、今復興に向かっている日本の代表として、決して諦めない気持ちをプレイで見せる機会だったのです。それができて夢のような気持ちです。この気持ちを私達と一緒に日本のみんなが共有してくれるだろうと思います。」こんな意義を見いだして戦うチームだからこその勝利だったのです。
 「お花屋さんに務めたい。」「なぜ?」「お花が好きだから。」「あなたが花が好きかどうかなんて聞いてないよ。なぜ花屋の店員に決めたの?花屋の仕事を通じて何がしたいの?」「花のある生活は素敵です。アレンジの勉強をしながら、多くの家庭に花のある生活を広げたい。」「それならがんばる価値あるわね。」
 「花屋をする」には対象があります。その対象とは、「顧客の幸福のために」ということです。是非、「なぜ?」「何のために?」と子供さんに迫ってください。そしてその答えが見つかれば、この上ない有意義な夏休みとなるでしょう。


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 ものには命がある 〜 物質文明と心 〜

 「物質文明と心」というテーマで小論文を書くとしたら、あなたはどのように書きますか。ひところは、物質と心を対照的なものと捉え、ものの溢れた現代物質文明批判を展開する、たとえば、大量生産、大量消費、使い捨て、ゴミの再生産等をキーワードとして、消費優先社会を批判し、心に焦点を当てたゆとり社会の構築が必要というような論調がありました。しかし、消費優先においては変わらなくとも、ECO商品でなければ評価されなくなり、かつての環境・温暖化といった社会問題は、一人一人の身近な生活問題になった現代にも有効な考え方とはどのようなものでしょうか。
 「ものづくり」は「人づくり」と言われます。たとえば、伝統工芸士、現代の名工と言われる人たちは、若い頃から技術習得のために精進し、独自の工夫を加え、その人でなければ作れない優れた製品づくりを極めた方々です。技能オリンピックに挑戦する若いエンジニア、町工場の技能士、開発者、設計者等々の「ものづくり」に携わる方々も、いわば、「ものづくり」をとおして人生を切り拓く方々です。
 一つの製品を構成する何百何千という精密部品、それらは金属加工やプラスチック成形の何百何千のプロによって作り出されます。マーケティング、企画段階から設計、製造、パッケージデザイン、広告、流通、小売り段階までを想像するに、「ものづくり」に関わる人の多さに驚かされます。
 学校の自販機の小岩井純水シリーズのラベルには「小岩井ブランドのものづくりの精神に基づき、云々」と書いてあります。「ものづくりの精神」とは、安全安心なものを顧客の幸福のために届けようと言うことであり、この精神を忘れたがために、信頼のダメージからなかなか立ち直れずにいる企業があまたあります。もちろんはなから人々の幸福より金儲けのためにのみ生み出されたものも多いのですが、今あなたが手にしているものは多くの人々の願いが詰まったものです。・・・ですよね?・・・ですか?
 「ものには名前がある」と気づいたのは「ヘレンケラー」でした。”water”という名前で言葉を獲得し、ヘレンケラーという名前で自らを確認し、サリバン先生という名前で他者を認識し、言葉の世界、思考の世界が無限に広がっていくのでした。
 ものには「私のもの」「父に買ってもらったもの」という固有の名前もあります。多くの人々の誰かというあなたに向けられた思いや願いも詰まっています。
 もの悲しい、ものがたり、ものすごい、ものの怪・・・、日本語にとって「もの」とは本来「こころ、たましい」のことでした。ものとは、こころを持っている、生命を持っている、世代を超えてリユースされるべきものでした。その命がなくなったとき、リサイクルされるべきものでした。「ものづくりの精神」も、実は、有史以来、連綿と師から弟子に継承されてきたものです。
 「物質」と「人」との関係性を、「もの」と「こころ」の統合という尺度で捉え直すことで、今日的なテーマが見えてくると思います。「物質文明と心」に挑戦してみよう。



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