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天仙寺は曹洞宗の寺院です。

電話でのお問い合わせは0182-33-3633

〒013-0019 秋田県横手市二葉町3−5

   曹洞宗について

 曹洞宗とは

道元禅師が、24歳で中国へ留学したのは、南宋の時代です。中国の諸山を遍歴した後、26歳の春、天童山景徳寺(てんどうざん けいとくじ)の住職となっていた如浄(にょじょう)禅師に出会い、釈尊以来の正伝の仏法を相続することができました。28歳で帰国した道元禅師は、直ちに坐禅の仕方などを説いた『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』一巻を選述しました。当時は比叡山を中心とした旧仏教側の圧迫もあり、正伝を宣揚するためには、真の求道者を養成することが急務であると考えられ、宇治の興聖寺(こうしょうじ)、更には越前の永平寺(えいへいじ)を通じて、1人でもいい、半人でもいい(一箇半箇)との願いをこめて人材の養成に専念されました。

この道元禅師の精神は、その後をついだ永平寺二代の孤雲懐弉(こうん えじょう)禅師、永平寺三代で加賀の大乗寺(だいじょうじ)を開かれた徹通義介(てっつう ぎかい)禅師を経て、その弟子瑩山(けいざん)禅師に受け継がれました。そして瑩山禅師のもとには、後に永光寺(ようこうじ)を継いだ明峰素哲(めいほう そてつ)禅師、總持寺(そうじじ)を継いだ峨山韶碩(がさん じょうせき)禅師が出られ、その門下にも多くの優れた人材が輩出して、日本各地に曹洞禅(そうとうぜん)が広まっていったのです。特に今一つの中国禅宗の流れをくむ臨済宗(りんざいしゅう)が、幕府や貴族階級など、時の権力者の信仰を得たのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の帰依(きえ)を受け、もっぱら地方へと教線を伸ばしていきました。

中国から正伝の仏法を伝えられた道元禅師様と日本全土に広められた瑩山(けいざん)禅師さまのお二方を両祖と申し上げ、釈迦牟尼仏(お釈迦様)とともに一仏両祖として仰ぎます。

また、永平寺と總持寺を両大本山といいます。両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰のみなもとであります。

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 宗 旨

曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。

そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

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 教 義

私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。

お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。

日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。

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